大手小町という掲示板にこういうトピが立ってました。
https://komachi.yomiuri.co.jp/topics/id/1038628/
「お嫁さんと関係を戻すには」
曰くお嫁さんが自分の親が毒親だと実家に寄りつかないので、会う度に「親へ感謝しなさい」と言い続けて10年。
息子の家に泊めて貰ったり一緒に旅行に行ったり良好な関係だったはずなのに嫁からブロックされたと。
考えたら私は結婚した時は実親と距離を置いていませんでした。
幼少期は母親から過干渉なおかつネグレクトとも言えるような育児をされて、大変な恨み辛みはあったので、姉妹で会うと母親にこんな事言われた、されたの話が尽きなかったのですが。
その後、社宅に住んで他の奥様方の親が「娘(奥様自身)の誕生日に電話してくる」とか、欲しくも無いイヤゲモノを送りつけてくるとか知り、ああ、親ってそういう物なのかと驚愕。
そして私の離婚騒ぎの時と、次女姉の離婚騒ぎの時の180度の態度の違い。
私の事を実家の土地を狙っている泥棒と決めつけてわざわざ母一人で夫の赴任先に住む私に会いに来て、父が亡くなったときに相続放棄しろと言いに来たこと。
それは三姉妹で多分私一人だけ言われたと言うこと。
その時点では父は別に余命がとかではなくその後20年近く経って母より後に亡くなったんですけれどもね。
等々から、大人になったらもう母親から暴力を振るわれないし、大人同士として付き合えると思っていた自分が馬鹿だったと気付いたのが40過ぎだったんです。
そこから全く実家に帰らず数年。
それに気付いた姑から説教される。
とはいえ、このトピ主さんみたいな上から目線では無かったですけれども。
それからはなんとか仲を取り持とうと姑がお正月に私の実家から来た年賀はがきを全員が集まってるところで私に読ませたり。
仲を取りなすように頼まれた舅が、母から預かった娘や息子に対する今まで渡してなかったお祝い金を皆の前で渡して来たり。
色々ありましたけれども。
苦痛なので止めて欲しいと言ってくれと夫に訴えて、夫がどのような言い方をしたか知りませんが、夫の性格を考えたら、止めないなら二度と私(と子どもたち)は夫の実家に来ないぞ位の事は言ってくれたんだと思います。
それでも気が強くて負けてない姑は「お母さん達に何かあったらちゃんと言ってもらわないと私たちが葬儀に出ない訳には行かない。」と他に誰も居ないところで私に言いました。
私は「判りました~」って返事して姑に両親ともすでに亡くなったことをひとことも言っていません。
娘と息子にも言うなと言ってます。
娘婿は口止めされてぎょっとしたでしょうね。
ちょっと娘が可愛そうですが。
ですから私も10年以上夫の実家でずっと自分の実家と仲良くせよと言われ続けてきたのですが、まあこのトピ主さんの様に命令口調で親に感謝せよとかまでは言われてないのですけれども。
この前の親戚の葬儀の時も舅が私の父との思い出を喋ってましたけれども、そうなんですねーって返事しておきました。
この舅の思い出話も私が本当に腑に落ちないのですが、まだ私が実親との絶縁を考えてなかったとき。
どういうきっかけか知りませんが、父母が夫実家にお泊まりしたというのですよ。
私は父母の口から亡くなるまで一度も、私の夫の実家に泊まらせて貰ったと聞いた事がないのです。
普通は私という繋がりがあっての招待なのですから、私からも舅姑に「父母がお世話になりまして。」と言うべき話ではないですか。
数年経ってから泊まったと舅姑から聞かされて「はあ?」状態でした。
父が亡くなって実家の片付けをしていたとき、夫実家のある山口の美術館のパンフレットや半券などが出てきたので、ああ、そういう事なんだなあって思いました。
そして父の遺品の中には手帖や手紙の控えなどが多数あったのですが、舅姑に関する記述は一切無かったです。
泊まらせて貰ってありがたいとか何も無かったんですねきっと。
私としてもしつこく仲を取り持とうとする舅姑にはうんざりしましたけれども、まあ世間一般として私が親にしている事はひどい事なんでしょうし、自分自身絶縁までするような事?とか悩んでましたので、舅姑からすれば異常な事だとは理解してますので、このぐらいの干渉は仕方ないかなと思ってます。
父の葬儀の時に父母のヘルパーをしていた人たちが、「まあ!三女さん!お母さんがとっても心配してたんですよ!良かった!お母さん最後に『姉妹仲良く』とおっしゃって・・・」と言っていたので、その場は笑顔で受け流しましたけれども、後で次女姉に「お母さん本当にそんな事言ったの?」って言ってしまいました。
だって母自身がずーっと自分の8歳年下の妹(私の叔母)に対する嫉妬丸出しで、悪口しか言ってなかったのですもの。
母の弟の母実家長男夫婦にたいしても、実家の遺産総取りに嫉妬していたのか毎年盆正月にお邪魔して親戚一同で宴会をしてくれていたのに、悪口ばっかり。
何が姉妹仲良くだよ!と思いましたが、次女姉は「さあ、最期の言葉とかじゃあ無いと思うよ。」と上手にかわす。
私自身の方も長女姉が私に対する嫉妬丸出しで、妹(叔母)の陰口を言い続ける母親よりたちが悪く私に毎日嫌がらせの電話をかけ続けたので夫の転勤で引っ越して電話番号も教えずに疎遠にしていたのですけれども。
無理です、仲良くなんて出来ません、というか母親より長女姉の方がずいぶん早くに亡くなってしまったのですが、母はそれを理解出来ないほどぼけてしまっていたそうです。
孫に対する気持ちも、盆正月は当然私が子どもたちを実家に連れてきて親に会わせる義務がある、親はだからといって子どもたちを遊園地に連れて行ったり一緒に遊んであげるような事をする必要もないみたいな愛情が全く感じられないスタンスだったのですが、長女姉の子どもたちとは近居だったしずっと交流を持っていて、長女姉の次女(この相続の一番の問題児)が結婚するときも遠くに嫁ぐ孫娘とのお別れ会を母が!母から言い出してやるほどだったらしいです。
しかし言い出しっぺの母がぼけていたので言い出したのを忘れてしまっていたそうですが。
まあそういう繋がりがあるからこそ、姪っ子も家は自分は管理しないけど売るな残しておけとか色々言うんでしょうね。
話はそれましたが、毒親持ちは毒親との対決だけでは無く、世間様との対応も大変です。
私が夫実家と決定的に対立して絶縁に至らなかったのも、私が親と疎遠にするまでにすでに10年以上義理親と付き合ってきていたこと、義理親は私の親と違って私の子どもたちをとても大切に思ってくれたこと、嫁いびりみたいな行為は一切無かったこと、私が夫と夫婦喧嘩をして夫に暴力を振るわれたときは舅が私の実家まで夫を引き連れて謝罪に来てくれたりと嫁として大切にしてもらえた事など色々積み重ねがあると思いますので、この小町のトピとは違う展開になったのだろうと思うかなって話です。