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親を好きになれない

加藤の死刑に心がざわざわする

以前にmixiで「私の母親は加藤の母親のそっくり」と日記に書いたと思いますが、自分過去数年の日記から探し出す気力も無ければ有料会員になって自分の日記を検索できる機能を付ける気も無いですね。

以下有名なコピペ
加藤の作り方。

【 加藤智大の作り方 (加藤母による教育法) 】

・ 『賢い子』にするため、漢字の熟語の問題を出し、10秒カウントダウン。
 10秒以内に答えられないとビンタ。
 小さい子供は痛くて泣くが、次の問題で正解しても、泣き声がうるさいからとビンタ。
・ 宿題の作文は内容を検閲。不都合なことを書くことは許さない。
 また、一字でも間違えたり汚い文字があると、修正ではなく一から書き直し。
・ 子供が欲しいものは申請させて全てチェック。買ったら感想文を書かせる。
 もちろん誤字脱字は禁止。
  ※ 最終的には物を欲しがらない『良い子』になった。
・ 不都合な情報を仕入れられてしまうものは見せない。
 ゲームは土曜日に一時間だけ許可。
 テレビも基本的に見せない。日本昔話とドラえもんだけは許可。
  ※ 基本的に高校二年生までこの状態。
・ 雑誌と漫画は論外として不許可。
・ 友達を家に呼ばせない。
・ 女友達、彼女は禁止。
  ※ 加藤智大は中学の時に運動神経がピークで彼女ができそうになったが、
    母親が怒り狂って別れさせた。彼女の家に乗り込み、おまえは邪魔だとか言った。
・ 母親が機嫌悪いとき、食事を床にぶちまけて食わせた。新聞紙を床にしくのが親心という。
・ 極寒の青森で下着姿のまま外に閉め出す。
 近所の人が「勘弁してやれよ」と来たが、子を思えばこその愛の鞭だからとやめない。
・ 父親を教育に干渉させない。母親の独裁状態。

父親の葬儀の時に、母の一番下の弟(良い人)がなぜ母親があんな風になったかと説明しようとしたけれども時間が無くてそのままになってしまいましたが、例えば加藤が加藤母に育てられたせいであんな風になったとして、事件の被害者たちはひとつも納得いかないと思います。
なので私も母親の成育歴がどうだったとしても、私たちが母から受けたしうちに「母がかわいそう」とか恨む気持ちが薄れるとか無いと思います。

そういえば私の父も母親には六人の祖父母が居て、それは厳しくしつけられたからあんな風になったと言ってましたけれども、「あんな風」をどうとられていたのか知りませんが、母が私たち姉妹にしていた事を知っていればなぜ止めてくれなかったのか。
どうせ何をしていたか知らないんでしょう。

ただ、幸か不幸か私が加藤にならずに済んだのは、私の母親が加藤の母親ほどパワフルではなかった事。
それとその時の日記に書きましたが、私が女性だった事。
大学を辞めてしまって親から逃げて、自分の力で食べて行かないといけないから、加藤と違ってずっと正社員を探していて正社員から正社員へ転職できたこと。
それから世間一般では母親の求めるようにエリートになれなければ「人間ではない」という風潮ではなくこれまた母親の矛盾した要求だけれども25歳までに結婚できなければ「か〇わ」という呪いにはさんざん悩まされたけれども何とか25歳の誕生日の1か月後には結婚できたこと。
もう一つ言えばどんなにみじめでも事件を起こして自分の未来をめちゃくちゃにする勇気なんて無かった事ですね。

そういえばもうすでに亡くなった姉が言ってましたが、自分の成育歴は十分不良になってしまうだけの物であったけれども、どんな目に遭おうが不良になるなんて自分が将来損するような事をするわけがないと。

そして加藤と加藤の弟。
二人とも不思議なのが母親を恨んでないって事なんですよね。
さっき初めて見たのですが加藤の弟の手記を持っているという記者の記事。

「秋葉原連続通り魔事件」そして犯人(加藤智大)の弟は自殺した http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39034


加藤の弟は、父母を守りたかったんだそうです。
加藤は自分を母親のコピーと言ってましたが、それなら自分はコピー2号。
でも自分はそんな事件を起こそうなんて考えたことも無いから、母親の教育のせいで加藤があんな人間に育ったわけでは無いと。

そりゃ世間を震撼とさせる事件を起こした人たちが違う父母の元で育ったらそんな事件を起こさなかったのか?
それは判りませんが、加藤のもともと持っていた素質と両親の教育の結果ではないのかなあと思います。
残念なことに、加藤がせっかく親から独立できたのに、自分の未来に損になる行動はしないって事を考えられなかったのかな?と思います。

加藤自身も母親を恨んでないみたいなことを言ってますよね。
一応成育歴は色々言っていた模様ですが、他の事に比べて口数少ないみたいな。
加藤の書いた本は今はプレミアついてAmazonで1位ですね。
買って読もうと昔は思ってたけれども。
もう良いかなあ。

私は母親を恨んで恨んで、葬儀にも出ないで、親子の縁切りも宣言して、親が亡くなったらちゃっかり遺産も貰っちゃって、しかし親にはあんまり響いてないかな。
他に二人娘が居て、二人とも親が亡くなるまで面倒見続けたからね。
上の亡くなった姉はずっと親の悪口を言いながらも親から電話かかってくれば渋々かいそいそかは知らないが面倒見てたみたいだ。
下の姉には「お父さんの事好きだったんでしょ。」と言った時は「そうだね、たぶん好きだったんだ」と言ってましたが、母親の事はなんと言ってたかなあ。
なんかもごもご言ってたけれども、母親が認知症になってから、「買い物に行く」と突然歩き出して仕方なくついて行ったけれども、結局母親が歩き疲れてUターンした話をして、「あの時香椎にイオンがあるって知らなかったけれども、イオンに行きたかったんだね。」とか思い出話をしているところを見ると母親の事も好きだったんだろう。

下の姉は母親にも父親にも一番気に入られていた娘だったけれども、私にされたことと同じような事は一通りされていると思う。
それでも海外旅行に連れて行ってあげたり、離婚となった時はかいがいしく面倒見て弁護士まで手配して色々面倒見てあげていたし、お金にだらしない姉に何くれとお金や物をあげたりと私とは格段に扱いが違うからね。
ただ、この下の姉はものすっごい借金こさえて、愛犬家殺人事件のような事をやらかして、やらかすと言っても殺される側の人間だったのだけれども、ペットショップ店主夫婦には一緒に逃げようと持ち掛けられて知らない土地で放り出される程度で済んで良かったなみたいな事をやらかしているので、私よりずいぶんおかしく育ってるし、同じ親に育てられてもってのはまあ判るんだけれどもね。

でも私は加藤が母親の事を非難したり恨んでないって言うのは単なる現実逃避だと思うんだけれども、誰も加藤の本当の動機なんて判らないままなんだろうなあ。

https://www.youtube.com/watch?v=PzQFu8Rh1To
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肉親に対する愛情

私は実家とは疎遠にしていたので、長女姉の住所電話番号は知っていたけれども、次女姉は再婚するとは聞いていたけれどもその引っ越し先の住所電話番号などは聞いてなかったし、そもそも結婚する前の住所も知らなかったし連絡も無かったし、ましてや長女姉の子供たち、姪っ子たちの住所なんて知らなかった。
特に長女姉の次女の結婚式に私を呼ぶと言われた時断ったしね。

母も長女姉も私に何度も暴力をふるってて、回数としては母の方が日常的でダントツに多かったけれども、私は中学生になって母と同じ身長になった時に「1発ビンタされたら2発ビンタし返す」と決心してからは、暴力はパタッとやみました。
暴言や脅しはありましたが。
しかも母曰く、母は学年で一番だったけれども親(私の祖父母)の無理解で大学に行かせてもらえなかったが、親(私の祖父母)が許可してくれたら絶対九大(九州大学・旧帝大)に受かっていたと言うけれども、母から一度も知性を感じたことが無かったので、体力的にも知能も母親より上だと心から思うから母は全く怖くない。

でも、姉は回数は少なかったけれどもその暴力は例えば、私が姉から殴られるのを嫌がって部屋のドアを閉めて抵抗したら、ドアのガラスをフライパンでたたき割るとか、私のロングヘアだった髪の毛をひっつかんで次女姉が帰ってくるまで1時間以上引っ張り続けるとか、母のような感情に任せた暴発と違って、狂気と執念を感じる暴力だったし、衰え始めた母と違って体力差が無いし、中学校の先生に私より姉たちの方が成績よかったと言われたし、姉も偉そうに人の下につくような仕事はしたくないとか言って毎日株式ニュースを欠かさず見ていたり、株について近所の証券会社の人が電力株を勧めて来るのをバカにして今はこの株が~とか言っている姉はそうとう頭良く見えて姉にはかなわないと言う気持ちがまだあるんだろうな。
でも結局姉、株で儲かってないやん貧乏だったもんね(ぼそっ)

だから、母も嫌いだけれども姉ももっと嫌いだから結婚式に出るもんかなどは言えなかったから、姉は死ぬまで私から嫌われているなんて微塵も思ってなかったみたい。
あんなに私のことをバカにして下に見てたのに、嫌われてると思わないってめちゃくちゃ不思議。
姪っ子は結婚式にも出ない叔母なんかには会いたくないというか思い出しもしないだろうしね。
というか姪っ子が6歳ぐらいの時からずーっと会ってなかったんだし。

だからと言って今回の相続の時に近況を聞こうとか思わなかったし、上の姪っ子はてっきりハワイ在住と思ってたらアメリカ本土に住んでてびっくりだったぐらい、下の姉が本人の了承の元、連絡先を弁護士から聞き出してメールのやり取りをして、姪っ子の子供の写真を送ってもらって、「人種が違う人と結婚したので肌の色とかいろいろ自分とは似てないが、自分自身は子をなさなかったが、こうやって自分の血筋が受け継がれていくんだなと感動した。」とか言ってたのでびっくりした。
確かに私の娘は子供を作る気ないのでは?(聞けないけれどもね)と思うし、息子は結婚してないし確かに私に流れる父母両方の血筋を受け継ぐのは姪っ子の子供たちだけだ。

だってさあ、私の連絡先とかは母親に聞けば判るのに、一度も向こうからはがきの一つも送ってきたこと無かったのに、ずっと連絡取ってなかった姪っ子にはわざわざ弁護士からアドレス聞き出してまでメールするんだ?って思いましたね。
あ、会ってないってのは私の一方的な思い込みでもしかしたら盆正月しょっちゅう実家で会っていたのかも。

私は夫の転勤でたまたま同じ市内に住む事になった下の姪っ子に連絡取りたいとは思わないですね。
連絡先も知らないしと思ってて、弁護士から最後にもらった書類を確認してたら、あら、そうだ遺産分割協議書はそれぞれサインして弁護士に送り返したけれども、4通とも私の手元に来たんだった。
住所書いてあるやんと思いました。
ただ、姪っ子の夫さんは名前も知らなかったけれども姪っ子の姓と勤務先でグーグル検索すれば経歴から何からばっちり出てくるような人物なので弁護士通さなくても連絡しようと思えばできたかな。
と思わず住所を地図で確認したけれども、私とは生活圏が違うから偶然出くわすこともないだろうなあって感じだった。
良かった。
というか偶然出くわしても多分お互い判らないだろう。

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私が相続放棄をしたとしても母の取り分は変わらなかった

父親が亡くなる20年ほど昔母親がわざわざ夫の転勤先にまでやってきて、「相続放棄をしてほしい」と言いました。
その時はものすごく腹を立てて「他の二人(姉二人)には言ったのか?他の二人も放棄するなら私もしてやるから他の二人を説得してからまた来い」と言い返しました。

で、結局それ以降母が私に相続放棄云々言ったこと無かったんですよね。

そして今頃気付きました。
もし父親が亡くなったときに私が相続放棄をしても、母の取り分は一円も増えないって事に。
ああ、馬鹿馬鹿しい。

相続放棄相続放棄言いますが、母がどういうつもりで言ったのか判りません。
だって父が生きている時に父の遺産の相続放棄なんて出来ません。
もしかしたら遺留分放棄の聞きかじりだったのかも知れません。
ただ遺留分放棄だと、父が遺言書を書くこと前提です。
遺留分放棄ってのは遺言で本来受け取れるはずの法定相続分を受け取れなくなる時に裁判すれば貰える分で、子であれば本来受け取れる分の半分です。
つまり私の場合母に全財産譲るという父の遺言書があって、不服だったら、もともとの法定相続分六分の一の半分の十二分の一を受け取れる。
私は母が常に「娘に遺産を取られる」と発言しているので、「お母さんがあんなに心配してるから、全財産は妻にって遺言書書いてあげれば?」って何度も何度も父に進言しましたが、父は「遺言書より法定相続が優先する」という訳のわからない持論を展開しまして、頑なに遺言書を書きませんでした。
私が遺言書を有効な物にするために公証人役場に連れて行ってあげるよと言っても。

ただ、父の子どもは私たち姉妹3人なので。
私だけが相続放棄や遺留分放棄しても母の取り分は増えないんです。


なぜかと言うと、普通の法定相続だと配偶者二分の一、残りの二分の一を子どもで分ける。


つまり母二分の一、私たち姉妹六分の一ずつ。


そこで私が放棄をすると。
私という相続人は居なかったものとして計算するので、母は配偶者として二分の一は変わらないんです。
姉二人は私が居なくなった分子どもの取り分を二人で分けることになるので四分の一ずつ。

でしょ?
もし母に全財産譲ると言う遺言書あっても、姉二人の遺留分合わせれば四分の一。
私が相続放棄しなくても私と姉二人の遺留分合わせれば四分の一。
私一人が相続放棄して母に何の得が?
しかも母は長女姉は怖いので相続放棄してねとか言い出せなかったと思うし。
まあ私が放棄したら「domi子も放棄したんだからお前も」って言い出せるきっかけになったのかな。
でも内弁慶の母だから長女姉にだけは言い出せなかったと思うんですよね。
もしかして私に言ってもらいたかったのかも。
あー、ほんとうに馬鹿馬鹿しい言い争いだったな。
でもあの出来事も私が母親を切り捨てて私には母なんて居なかったとして考える良いきっかけになったので良かったです。

さて、こういうことを考え始めるきっかけになった大手小町の掲示板の回答を見ていたら、「相続分の譲渡」ってやり方があるみたいですね。
父が亡くなった後に私の相続分を母に譲渡するという書類を作成すれば母は私の相続分ももらえるので母六分の四、姉二人六分の一ずつって事になるらしい。

へえーへえーへえー。
ただ、知っててもそんな書類絶対書かなかったよ。
だって母嫌いだもん。

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毒親のクリスマスプレゼント

大昔私がまだ小学校入学前の話です。
大手小町のこの投稿を見て思い出しました。

https://komachi.yomiuri.co.jp/topics/id/1044285/

あの時代結構長い期間板チョコは50円固定だったんです。
そして問題のクリスマスの朝。
姉たちの枕元には500円札。
私の枕元にはチョコレート5枚。
私はまだ足し算もかけ算も習ってませんでしたけれども、私へのプレゼントは姉たちの半分である事を理解しました。
舐めんなよ幼稚園児の計算能力。

そして姉二人が、何ともう小学校6年生にもなろうという上の姉も下の姉も口を揃えて「わー、チョコレート良いなあ頂戴」と言ったんです。
私はなんで姉たちの半分しか貰えない上に分けないといけないのかと訴えました。
「お姉ちゃん達はそのお金でチョコレート10枚買えるでしょ!」って。
でもそれを見て居た母親がどうしたと思います?
「まあ!ケチな子ね!分けなさい!」って私のチョコレートを二つもぎ取って姉たちに一枚ずつ渡したんです。

結果は私の手元には板チョコ3枚150円分。
姉たちは現金500円と板チョコ1枚550円分。
その時はそうなると3倍以上の差があるじゃ無いかとまでは理解出来て無かったとは思いますが、元々2倍の差があったのにさらに差が広がったことは理解出来てました。
不公平だって板チョコ3枚泣きながら食べて、「板チョコ貰って嬉しかった」なんて一ミリも感じませんでした。

大人になって母に何であんなことをしたのかと聞いたら、その時の事を覚えているのか覚えてなかったのか知りませんが、「お前にお金の計算が出来ると思ってなかったから」と言いましたが、私は最初っから「お姉ちゃん達はその500円でチョコレート10枚買える」と何度も主張してたんですよね、計算出来てないと思うとか意味わかりません。
お金の計算が出来ないと思ったにしてもそんな不公平でしかも私の事をケチ呼ばわりしてするような事?
姉たちは計算出来る年齢だったから諭すべきだったと思いませんか?

こんな感じですべてに置いて虐げられていたという記憶しかありません。
上の姉は「私は遠足のおやつも残してきて妹達に分けていたのに、妹たちは感謝どころか文句ばっかり」とか言ってましたけれどもそうですかね?
このチョコレートの一件だけでも私をどういう扱いにしていたかわかりますよねってなもんですよ。
上の姉には就学前のチョコレートだけで無く小学校時代誕生日プレゼントに貰った自転車を通学用に横取りされた思い出とか、中学生時代買って貰ったサンダルを持って行かれたとかもありますし、良い思い出なんてありません。

もちろん私だって私の子どもたち、娘と息子に平等に接しているかと言えば出来てないと思います。
進学に掛かった費用を平等にするために金銭的にこう・・・と息子の車の代金の補助とか考えてしてやった事を娘からあっちにしてやったのなら私にも!とか言われたこともあります。
娘から差別と言われたその時は求められたお金を支払いましたけれども、しばらくしてどうして弟の方に手厚くするのかは理由を説明しました。
娘は納得したかどうか判りませんし、それ以降娘と息子にお金の差をつけるような出来事は起こってないのですが、今後、そういう事だから数百万の差をつけるよと娘には言っているし、息子は勉強出来る方に学費を手厚くするのは差別と思わないよとは言われてますけれども。

何が言いたいかと言いますと親が考える平等が子どもが考える平等とは違うかもって話ですけれども。
チョコレートの話は、恨んでも良いですか?

上の姉は亡くなってますしどういうつもりだったか聞けません。
下の姉にその質問をぶつけたことがあるような気もしますが、回答を覚えてません。
が母が「お前がお金の計算が出来ないと思っていたから」と言われたのは覚えてます。
計算出来なけりゃ差別しまくってかまわないし、一旦与えたチョコレート5枚のうち2枚をむしり取ってもかまわないという認識だったんですね。
自転車も誕生日プレゼントだと買い与えておいて、上の娘が通学用に自転車が必要になったら、自転車をむしり取っても特に罪悪感が無い母と姉だったんだなと今更ながら思います。

二人とも大嫌いだ。
と言えない二人とも亡くなってるからね。
「残念」

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ガラケー使えていただけでもうちの親よりましかな

https://komachi.yomiuri.co.jp/topics/id/1043072/

80代の母親がガラケーからスマホに買い換えたら電話すらできなくなったというお話。

確かに電話オペレーターの仕事をしていたら、電話を切ってくれなくて困るってシチュエーション増えました。
スマホでの電話の切り方よくわかってないんでしょうと思います。
そしてリダイヤル押してしまったのかなんだかガサガサ音はするけれども何を呼び掛けても返事すらないって電話も増えましたね。
まあそれは若い人でもあるんでしょうけれども。

うちの親、結構早くにガラケー持ってたんですよね。
それこそ私がまだPHSしか持ってなかった時代に。
なぜなら父の継母が具合が悪くなって。
いつ何があるか判らないから、電話待ちでお出かけもできないと言い続けて数年その状態でした。
そして父と母とそれぞれ万が一の連絡の為に携帯を買ったと言うので、「へえ?じゃあ電話番号教えて。」と言ったら、父と母が目配せをして黙り込みました。
どういう事?
父母は私のPHSの番号を知っていたのにですよ。
私に携帯番号知られたらどんな不利益があると言うのですか?
それまでに私が自宅に嫌がらせ電話をかけ続けていたとかいう過去があるのならともかく。
とにかくちょっとしたお出かけもできないとかぶつくさ言っていたので、携帯持ってるなら父の実家の人に携帯番号教えればデパートにお出かけ位出来るやん?って言ったけど「でも・・・」って。
出かけないなら携帯要らないやん。
定年退職して自宅に居て、夫婦お互いしか番号知らない携帯電話って何か意味あるの?
まあ母の英会話教室とか詩吟サークルとかの時間帯は何かあったら便利だったかもね。
そしてその携帯いつまで使っていたか知りませんが、亡くなった時は携帯もスマホも持ってなかったですね。
まあ認知症でしたし。

とはいえ、一つ嫌味を言いたくなるのですが。
私の実祖母、母親の母が亡くなった時。
母危篤の電話が入った時に母が日ごろろくな家事もしてないくせに、瓜を漬けるのを止めなかったんですよ。
私たち姉妹は「瓜は任せて」と言えたらよかったんでしょうけれどもそんな気の利いた娘は一人もおらず。
瓜なんて腐っても良いじゃん早く行きなよ!としか言えませんでした。
しかもタクシー使って行けば良いものを。
自宅からバス、天神から西鉄線、そしてそこからバス・・・で死に目に間に合いませんでした。
祖母の一周忌の後、母の弟、母の実家を継いだ叔父が乗り込んできて文句を言ったそうです。
私は知らないけれども。
葬儀と一周忌の金額が他の人より少ないとか。
そもそも、祖母が入院してお見舞いに来た回数が少ない!
しかも亡くなった時、間に合わなかったじゃないかと。
うん、お金を惜しんでタクシー無しは無かったよねと私は思います。

そういえば義理の両親がガラケー持った時、らくらくホンって奴ですか?
意味が分からないんだけれども、なんとメールが出来なかったんですよ。
なのでショートメールでやり取りしてました。
もともとメールが出来ない機種なのかiモードつけてなかったのか知らないけど。
で、今はスマホにしてるんだけれどもラインもメールも出来ないです。
なのでやっぱりショートメールです。
スマホにした意味何かあったんだろか。

うちの親は、父親はコンピューターの専門家?コンピューターを中学教育に組み込むみたいな研究をやっていたと思うのですけれども。
実家にはアスキーという月刊誌があふれかえっていたけれども父がインターネットをつなぐのはすごく遅かったです。
だから家にあるパソコンは年賀はがき作成機だった。
曰く、インターネット回線使用料がクレジットカードでしか払えないからクレジットカードを作らないといけない。
曰く、電話回線とパソコンをつなげないといけないから電話回線の下にパソコンを置けるような台を設置しないといけない。
どちらもインターネット導入までに数年かかる言い訳にはならないと思いました。
大学で、研究費もらったりとか、実際あのバベルの塔にあるような穴の開いた紙テープが出てくるようなコンピューターの小さい奴を研究の為大学備品としてもらったり、国費で留学したりとかしてたくせに「誰もがインターネットにつなげる時代になればなんもできてないじゃん」ですよ。

母も。
まだATMじゃなくてCD(キャッシュディスペンサー)時代に、機械でお金をおろすなんて怖いとずーっと毎回銀行窓口に行ってました。
今から思い起こすと、まだ40代じゃないの?って思います。

まあそうは言ってもこのブログをパソコンで書いている時点で私もすでにロートルかもしれませんが。
ペイペイだってあのテレビで大騒ぎしていた時期は「何それ怖い?」で参戦してませんでしたが、今頃になって、なんとかペイだと20%ポイントバックだのなんだので参戦しています。
最初の本当にめっちゃお得だった時代に参戦できなかったからロートルかな。
しかも色々キャンペーンありすぎて頭が混乱しています。

うちの親が私に携帯電話番号を教えなかったのは機械を使いこなせないって話とはまた別の話なのかもしれませんが。

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実家の片付け 親を好きになれない

父の葬儀に乗り込んで正解だったと思う

職場でも友達にも隠してないですが、40歳半ばから実家の両親と姉二人に全く会ってません。

義理両親の知るところとなり仲直りしなさいと散々言われましたけれども、夫に訴えて止めろと言ってもらいました。

それでも姑が「お父さん達に何かあったら知らせてくれないと、私たちが葬儀に出なかったら何と思われるか。」と夫の居ないところで言われましたけれども、「判りました」と答えてその後もう父も母も亡くなっていることを言っていません。

夫も最後まで「葬儀に出ないなんて。村八分の残りの二分は葬儀と火事だよ。」と何度も私に言いましたけれども私は長女姉の葬儀にも母の葬儀にも出ませんでした。
村八分の残りの二分については、これはいくら村八分でも可愛そうだからそこだけは付き合ってあげるという話では無く、火事の延焼を防ぐ事と、疫病の蔓延を防ぐ為であって決して村八分にされている人の為の話では無いでしょと毎回言い返していましたが。

ですが父の葬儀の時は出ました。
なぜなら遺産相続の事を姉と話し合う機会はこの時しか無いと思ったからです。

姉と言っても二人の姉のうち、長女姉は母より前にたった60歳で亡くなりました。長女姉がまだ存命だったら私は遺産の話し合いをする為にであっても会う勇気は無かったと思います。

母からも長女姉からも暴力を受けた事がありますが、母の方は暴力は日常的だったのですけれども、母には大きくなってから一発叩かれたら二発叩き返すと決心してやり返したら暴力を振るわなくなったけれども、姉に暴力のやり返しをしたことは一度も無いので、まだ怖いという気持ちが残ってるんだと思います。
暴力の回数は少なくても、長女姉の暴力は限度を知らない感じだったし怖いです。

父の葬儀。
乗り込んだというよりまあ普通に出席したんですけれども。
気持ち的には父を悼むとか見送るという気持ちがさっぱり無かったので「乗り込んだ」って感じです。
結果はこれで良かったと思います。

次女姉は認識が甘くて、母が亡くなった時は後見人弁護士が遺産相続についてすべて手続きしてくれたのですが、私の認識としてはそれは母の後見人弁護士が、父の後見人弁護士でもあったから。
つまり父は相続人になるので父の権利の代理をしただけで、たまたま私たちもそれで遺産分配をして貰って助かったって話です。
なので父の相続の時は自分たちでとはっきり言われていたので、何もしてくれないと判っていました。
なので、次女姉にその後見人弁護士に別でお金を払って父の遺産分割に関しても担当して貰おうよと言うために行きました。
弁護士さんも義理堅い人なので父の葬儀に参列されましたので、その場でお願いできました。
ここからがまた次女姉の認識が甘く、弁護士に依頼をすれば実家を買い取り業者に買い取って貰ってすべて現金化して分けてくれて分配して相続税の申告もしてくれると思っている。
そんなの出来ないって。
買い取り業者に頼むとしても相続手続き終わらせて誰かの名義にして売らないといけないし、そうなると売却益に税金かかるし、その税金をどう計算するのかとか相続分配が難しくなる。
だから弁護士の提案は本来なら不動産評価額で計算するところを、固定資産税評価額で引き受けてくれる人が一人居ればいいと。
ただ、私のもくろみと違って父が亡くなったずいぶん後に来た固定資産税評価額が前年の15%アップだったから、引き受けて売却したら損するじゃん・・・ってなったのですが誰かが引き受けないこ始まらない始まらない。
そして申告は税理士でしょ、そして実家の不動産登記は司法書士でしょ。

結果、まあ色々揉めましたけれども。
相続税申告期限が迫る10ヶ月ギリギリになるまでかかりました。
私たちの場合海外在住の相続人も居ますし、書類のやりとりに時間がかかったという事で申告期限延長申請して申請が通りましたが、実を言うと海外在住の姪っ子はちゃんとレスポンスがあるので遅れたのは彼女が原因ではないのです。
国内在住の姪っ子があれこれ文句をつけてきたのです。
しかも弁護士さんが電話してもなかなか話が通じなかったらしい。

もう一つは単純に手続き上の問題ですが、弁護士が次女姉に退職共済の手続きを頼んだら、姉が盛大な勘違いをして揃える書類が大量にあるとほったらかしにして、弁護士から連絡あっても無視をして数ヶ月たち、私が手続きするに当たって姉が共済金受け取り放棄の意思表示をしないといけないと退職共済の人から言われてまた書類紛失とかすったもんだあったせい。
私は共済から書類を受け取って、ただ一つ足りない、弁護士が持っていない施設に入っていた時期の診断書を貰って提出まで1週間ほどしかかからなかったので、姉の書類読解力のなさにびっくりです。
それで5ヶ月は遅れたかな。

家を売却して現金化する方向での話し合いだったので実家の中にあったものは頑張って全部捨てたのですが。
最後の最後に姪っ子は家財道具は誰が相続するのかとか。
箪笥とか売ったらお金になるとでも思っているのだろうか。
しかも安物年代物の箪笥は母の物、比較的立派な箪笥は実は私の物なんです。
たんすなんてタダでも引き取って貰ったらラッキーとしか思えないのですが。
着物も母が存命中1万円で売り払ったらしくシミが付いた方の振り袖やコートしか残って居らず。
つまり買い取り業者が拒否した着物しか残ってないんです。
私は120個以上の粗大ゴミ処理券代と、冷蔵庫洗濯機の家電リサイクル券代運搬代と、庭の草刈り代と、ゴミ袋350袋分の代金、粗大ゴミで断られた箪笥を処分してくれる業者の代金、支払ってるんですが。
粗大ゴミで大きくて家から出せないと断られた箪笥の処分を市の許可業者が案外安い金額、粗大ゴミの2倍以下で1時間以上掛けて分解して出してくれた時は涙がちょちょぎれそうだったので、お茶代として心付けを払ったのは私の勝手なのでそれは除外するとしても、動産の取得と言われるならかかった費用をマイナスで計算して欲しいぐらい。
実家の燃えるゴミ燃えないゴミ粗大ゴミの日に通ったバス代とか、私の労力は?とか考えたらもっとだと思うけれども。

そして本来なら父の亡くなった日以降の実家の電気代水道代ガス代は父の口座から落ちるのはおかしいのだけれども、話がなかなかまとまらない中私がまだ寒かった父の亡くなった後から暑い夏もずっと実家の片付けが済まなかったので、エアコンとか水とか無いと困るので止めなかったのですが、遺産分割が済むまで引き落とされても文句を言う人など居ないのではないかと弁護士さんが言っていましたが、家の名義を私にして私は三分の二の金額を他の相続人に弁済し、相続の現金から差し引く方向の話し合いだったので、家の持ち主が払うべきかなと私は引き落としの名義を私に変えて支払いました。
結局姪っ子が最後にもう一度通帳のコピーを出せと言ってきたのも、私が引き落としの名義を私に変える前に引き落とされて数万円残高が違ってきてるから不審に思ったわけでしょ?
Jcomの解約費用も2万円ぐらいかかったし、それは私が負担するものではないと思ったので父の口座から落として貰いましたし。
ほら、文句言う人居たじゃないですか、甘いですよね弁護士さんも。
そしてこのJcomもちょっと腹が立つのですが、父は亡くなる前1年ほど長期入院、施設で家に居な買ったんですよね。
弁護士さんさっさとガスを停止して姉がお風呂に入れないと再開したのですが、ガスよりJcom。
父のパソコンをつけてみたらインターネット繋がってなかったと次女姉が言ってましたけれども、しっかりインターネットと電話とテレビを契約して月7000円以上、父が亡くなった後も私が実家の片付けをしていて、「これはJcomと契約してる?」と気付いて連絡するまで支払い続けていたのよね。
ガスは無いと困ることあるけどJcomはたまに泊まりに来たときにテレビ見れなくても困らないし、もったいなかったよね。
次女姉はJcomと契約してること知らなかったみたいですが、弁護士さんは通帳管理してたから知ってたはず。

しまいには父の生命保険死亡保険金等々が私の口座に半年ほど眠ってる状態なので、その利息も要求されないかななど考えていましたけれども、それは無かった(笑)だって400万程度半年以下だからせいぜい10円?ぐらいかな。

もちろん父の亡き後引き落とされた電気代などは相続税支払いの時はそれが引き落とされる前の計算でしょうけれども、税理士さんに申告を頼んでいるのでまさかそこら辺を間違えることなど無いでしょう。

こんな色々がありましたけれどもようやく遺産分割協議書作成が済みまして、それに判子付いて貰うだけですけれども、どうなったことやら。
私は遺産分割協議書を郵便で貰った次の日に判子ついて弁護士事務所のポストに放り込みに行きました。
速達より早いから。
弁護士さんは90万円の報酬でやってくれるそうです。
消費税入れて99万、相続は次女姉と私が三分の一ずつ、長女姉の子どもたち二人の姪っ子が六分の一ずつ、割り切れてちょうど良いですね。
税理士さんは100万の所を4人まとめて頼んでくれるなら20万値引きしますと80万で88万。
3で割り切れないな。

私は家を貰ってしまったら売ってもその遺産分割協議書の代償額だと他の相続人が貰う現金の方が高くなるんですよね。
よほどふっかけた値段で売りに出して、どうしても欲しいからその値段でって値下げ交渉しない買い主が現れない限り。
それでも誰かがあの家を引き受けないと話が進まないと、もしかしたら儲かるかも知れないとか思って手を出して失敗したわけですけれども、私が引き受けなければ未だに話が進んでませんでしたので、結果はこれで良かったのだと思います。

あんなに娘に家を取られると散々私を泥棒扱いしていた母親ですし、一瞬でも私の名義になるなら母親への仕返しになるかもとほくそ笑んでおります。

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親を好きになれない

今更ながらエヴァンゲリオン

テレビ放映の時期に見てましたけれども20年近く経ちますよね。
もちろん私はテレビ放映の最期の2話を理解出来ずに怒った方の人間です。

で、その後色々サイトを見て回ってそうなのかーって思ったけれども、いや人から解説されないと判らないような内容ってどうなん?って未だに思います。

そして、今回。
劇場版一つも見てませんが。
ラストが宇部新川駅だったと知ってえ?って思って色々Youtube見ました。

普通に劇場版4つを見て私は理解出来なかったと思いますので、解説のYoutube見るだけで良かったとは思います。
でもテーマが「愛情を親から貰えなかった子どもたち」なの?みたいな。
で、しかもラストシーンが宇部ですか。

私も親から愛情を貰えなかったので非常に性格の悪い人間に育ちまして、自己肯定なんて何も無い。
で、そういう人間達が救われる物語が夫の実家の宇部がラストってふーん?まあそこまで運命は感じないですが、なにか感じる物はありますね。

主人公のシンジは親からの愛情を実感してラストを迎えるのですが、私の場合は父親が亡くなった後も実は次女姉が一番愛されていて私なんてどうでも良かったという事実をさらに突きつけられるという事態でエヴァンゲリオンみたいなラストには導かれません。
世界のその後を決めるのが実は父にも母にもとても愛されていたシンジで良かった、私ならさらに絶望を迎えてとんでもない未来を招きかねないです。

これからシン・エヴァンゲリオンを見て、自己肯定感をつけようと思います。

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親を好きになれない

実の親から一度もして貰ってないことをしてくれる舅姑

社宅に入ったときに奥様方の誕生日に親から電話があったり宅急便が送ってきたり。
ああ、親ってそういう物なんだと初めて気付きました。
それまで、母の日、父の日、母の誕生日、父の誕生日、すべて一方通行でしたから。
そりゃもちろん子どもの頃は誕生日パーティを開いてくれたり、プレゼント貰ったり。
でもせっかくして貰ってるのに覚えているプレゼントは、自転車。
なぜかと言うと、小学生の時に誕生日プレゼントで自転車を買って貰ったのに、姉が高校生になった時にそれを勝手に通学用に使うようになってしまったんです。
母も姉にも通学用に自転車を買えば良いのに、「お姉ちゃんが高校から帰ってきてから使えば良い。」と言ったんです。
私の下校時間の方が早いから遊びに行くとき使えないし、そもそもあの自転車は私の物だそれはひどいと主張したのですが、無視。
なので私は自転車の鍵を掛けて隠しました。
その日姉が自分で鍵を無くしたと思って慌てて探していたけれども知らんふりしました。
いったいどうしてプレゼントした物を取り上げるような事を出来るんでしょう。
いくら節約と言っても姉に自転車買うお金も無いほど貧乏ならそもそも私に自転車を買わなければよかったと思います。
姉も姉です。
なぜ自分にも自転車を買ってと親に主張せずに私の自転車を毎日勝手に使うという判断をしたのでしょう。
私はこの姉も嫌いなんです。
私が中学生になった時に夏に安いサンダルを買って貰ったら、それを勝手に大学の寮に持って帰ったのです。
曰く「私が中学生の頃白いサンダルが欲しくて欲しくて買ってと何度も頼んだのに買ってもらえなかったのに!」だそうです。
それを言うべきは母親に対してであって、どうして私に向かってそんな事をするのか、一家の中で一番弱い立場だからですよね。

なので私は自分の誕生日プレゼント、嬉しいプレゼントもあったのかもしれないけれどもすっかり忘れていまして、思い出せるのがこの恨み深い自転車のみなんです。
ひどい娘ですよね。

舅姑も私の誕生日に電話掛けてきたりとかプレゼント送ってきたりとかしませんでした。
ただ、プレゼントはプレゼントは気合いの入っていた結婚当初はともかく、だんだん面倒くさくなって、母の日と姑の誕生日を一緒くたにしたりとか手抜きしてましたけれども。

でもいつからか、舅姑から私たちの誕生日にプレゼントを贈ってくるようになったんです。
毎年決まって私には赤白のワイン1本ずつ、夫には焼酎。

今日もさっき夫がゴルフに行ってるからとグダグダと布団の中でマンガを読んでいたらインターフォンが。
舅姑からの誕生日プレゼントでした。
舅が姑に向かってえらそうに「オレが良いワインを選んでやる」と言っている姿が目に浮かぶようです。

色々あっても実の親ほど遠慮無い関係にはなれないですけれども。
実の親からして貰った事のないことをしてくれるような舅姑です。
私にはもったいない舅姑ですね。

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親を好きになれない

義両親からの毒親への理解

大手小町という掲示板にこういうトピが立ってました。
https://komachi.yomiuri.co.jp/topics/id/1038628/
「お嫁さんと関係を戻すには」

曰くお嫁さんが自分の親が毒親だと実家に寄りつかないので、会う度に「親へ感謝しなさい」と言い続けて10年。
息子の家に泊めて貰ったり一緒に旅行に行ったり良好な関係だったはずなのに嫁からブロックされたと。

考えたら私は結婚した時は実親と距離を置いていませんでした。
幼少期は母親から過干渉なおかつネグレクトとも言えるような育児をされて、大変な恨み辛みはあったので、姉妹で会うと母親にこんな事言われた、されたの話が尽きなかったのですが。
その後、社宅に住んで他の奥様方の親が「娘(奥様自身)の誕生日に電話してくる」とか、欲しくも無いイヤゲモノを送りつけてくるとか知り、ああ、親ってそういう物なのかと驚愕。
そして私の離婚騒ぎの時と、次女姉の離婚騒ぎの時の180度の態度の違い。
私の事を実家の土地を狙っている泥棒と決めつけてわざわざ母一人で夫の赴任先に住む私に会いに来て、父が亡くなったときに相続放棄しろと言いに来たこと。
それは三姉妹で多分私一人だけ言われたと言うこと。
その時点では父は別に余命がとかではなくその後20年近く経って母より後に亡くなったんですけれどもね。

等々から、大人になったらもう母親から暴力を振るわれないし、大人同士として付き合えると思っていた自分が馬鹿だったと気付いたのが40過ぎだったんです。
そこから全く実家に帰らず数年。
それに気付いた姑から説教される。
とはいえ、このトピ主さんみたいな上から目線では無かったですけれども。
それからはなんとか仲を取り持とうと姑がお正月に私の実家から来た年賀はがきを全員が集まってるところで私に読ませたり。
仲を取りなすように頼まれた舅が、母から預かった娘や息子に対する今まで渡してなかったお祝い金を皆の前で渡して来たり。
色々ありましたけれども。


苦痛なので止めて欲しいと言ってくれと夫に訴えて、夫がどのような言い方をしたか知りませんが、夫の性格を考えたら、止めないなら二度と私(と子どもたち)は夫の実家に来ないぞ位の事は言ってくれたんだと思います。
それでも気が強くて負けてない姑は「お母さん達に何かあったらちゃんと言ってもらわないと私たちが葬儀に出ない訳には行かない。」と他に誰も居ないところで私に言いました。
私は「判りました~」って返事して姑に両親ともすでに亡くなったことをひとことも言っていません。
娘と息子にも言うなと言ってます。
娘婿は口止めされてぎょっとしたでしょうね。
ちょっと娘が可愛そうですが。

ですから私も10年以上夫の実家でずっと自分の実家と仲良くせよと言われ続けてきたのですが、まあこのトピ主さんの様に命令口調で親に感謝せよとかまでは言われてないのですけれども。
この前の親戚の葬儀の時も舅が私の父との思い出を喋ってましたけれども、そうなんですねーって返事しておきました。

この舅の思い出話も私が本当に腑に落ちないのですが、まだ私が実親との絶縁を考えてなかったとき。
どういうきっかけか知りませんが、父母が夫実家にお泊まりしたというのですよ。
私は父母の口から亡くなるまで一度も、私の夫の実家に泊まらせて貰ったと聞いた事がないのです。
普通は私という繋がりがあっての招待なのですから、私からも舅姑に「父母がお世話になりまして。」と言うべき話ではないですか。
数年経ってから泊まったと舅姑から聞かされて「はあ?」状態でした。
父が亡くなって実家の片付けをしていたとき、夫実家のある山口の美術館のパンフレットや半券などが出てきたので、ああ、そういう事なんだなあって思いました。
そして父の遺品の中には手帖や手紙の控えなどが多数あったのですが、舅姑に関する記述は一切無かったです。
泊まらせて貰ってありがたいとか何も無かったんですねきっと。

私としてもしつこく仲を取り持とうとする舅姑にはうんざりしましたけれども、まあ世間一般として私が親にしている事はひどい事なんでしょうし、自分自身絶縁までするような事?とか悩んでましたので、舅姑からすれば異常な事だとは理解してますので、このぐらいの干渉は仕方ないかなと思ってます。

父の葬儀の時に父母のヘルパーをしていた人たちが、「まあ!三女さん!お母さんがとっても心配してたんですよ!良かった!お母さん最後に『姉妹仲良く』とおっしゃって・・・」と言っていたので、その場は笑顔で受け流しましたけれども、後で次女姉に「お母さん本当にそんな事言ったの?」って言ってしまいました。
だって母自身がずーっと自分の8歳年下の妹(私の叔母)に対する嫉妬丸出しで、悪口しか言ってなかったのですもの。
母の弟の母実家長男夫婦にたいしても、実家の遺産総取りに嫉妬していたのか毎年盆正月にお邪魔して親戚一同で宴会をしてくれていたのに、悪口ばっかり。
何が姉妹仲良くだよ!と思いましたが、次女姉は「さあ、最期の言葉とかじゃあ無いと思うよ。」と上手にかわす。
私自身の方も長女姉が私に対する嫉妬丸出しで、妹(叔母)の陰口を言い続ける母親よりたちが悪く私に毎日嫌がらせの電話をかけ続けたので夫の転勤で引っ越して電話番号も教えずに疎遠にしていたのですけれども。
無理です、仲良くなんて出来ません、というか母親より長女姉の方がずいぶん早くに亡くなってしまったのですが、母はそれを理解出来ないほどぼけてしまっていたそうです。

孫に対する気持ちも、盆正月は当然私が子どもたちを実家に連れてきて親に会わせる義務がある、親はだからといって子どもたちを遊園地に連れて行ったり一緒に遊んであげるような事をする必要もないみたいな愛情が全く感じられないスタンスだったのですが、長女姉の子どもたちとは近居だったしずっと交流を持っていて、長女姉の次女(この相続の一番の問題児)が結婚するときも遠くに嫁ぐ孫娘とのお別れ会を母が!母から言い出してやるほどだったらしいです。
しかし言い出しっぺの母がぼけていたので言い出したのを忘れてしまっていたそうですが。
まあそういう繋がりがあるからこそ、姪っ子も家は自分は管理しないけど売るな残しておけとか色々言うんでしょうね。

話はそれましたが、毒親持ちは毒親との対決だけでは無く、世間様との対応も大変です。
私が夫実家と決定的に対立して絶縁に至らなかったのも、私が親と疎遠にするまでにすでに10年以上義理親と付き合ってきていたこと、義理親は私の親と違って私の子どもたちをとても大切に思ってくれたこと、嫁いびりみたいな行為は一切無かったこと、私が夫と夫婦喧嘩をして夫に暴力を振るわれたときは舅が私の実家まで夫を引き連れて謝罪に来てくれたりと嫁として大切にしてもらえた事など色々積み重ねがあると思いますので、この小町のトピとは違う展開になったのだろうと思うかなって話です。

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親を好きになれない

毒親とは対決しない

今日なぜかこのYoutubeがお勧めに上がっていたので見ました。
見た目は怖そうな方ですが、語り口は穏やかでそうだよね、ふむふむと頷きながら聞きました。

スーザンフォワード著の毒になる親、私も読みましたけど、私は親とは対決しませんでした。
唯一対決したかなってのは、ずーっと「仕事が~」とか「夫の実家に~」とか理由をつけて自分の実家に帰らなかったのですが、ある日母から電話があったときに「あなたの娘は二人だと思って下さい。私はあなたを母親と思わない。」って言いました。
私は三人姉妹の末っ子なのです。
私は静かに親と離れていく方法を選びました。

このYoutubeの説明の、親と対決して親が土下座をして謝ってくれても、愛し直しをしてくれても、毒親持ちの人自身の心の持ちようが問題なので絶対スッキリしないからって理由も納得いきます。

でもね、私が対決しない方が良いって思うのは違うのですよ。
だって、小さい頃こんな事されて辛かった、こうして欲しかったとか訴えて心の底から反省する親、毒親になりますか?
ならないと思います。
万が一の確率で、本当に子どものためを思ってやった事が裏目に出て子どもが辛い思いをしたとかがあるかもしれませんが。
対決をしたら、言い返されてモヤモヤが残るだけだと思います。
私の母は絶対謝らない人でした。
どんなに理由を説明しても話を元に戻されて延々ループ。
必死でやり込めて謝らせても「そりゃごめんなさい、だけどね(ループ)」
謝ってもらえてわかり合えて和解なんてあり得ないです。
しかもこの「ごめんなさい、だけどね(ループ)」に持って行くまですごく疲弊するのに。

私も、Youtubeの内容とは違う意味で対決は、しない方が良いと思います。

それから、このYoutubeでは、許さなくて良いと言ってます。
それも私はそう思います。

ただ、許せる人は許せば良い。

http://ruby777.fc2web.com/menu/framepage.html

転勤族の妻のサイトで知り合ったるびぃさんがこんなサイトを作っていたので、一回お会いしたぐらいでは親が・・・なんて話になるわけも無く大変驚きました。
彼女は許したんですよね、だから私はこのサイトを最後まで見ると苦しくなります。
ここの「透明な空にのびる心」の所です。

でも私は「許さなくて良いんだよ」って言いたい。
大体ね、本当にるびぃさんみたいに許せるなら話は別だけど、それでも親だから、それでも育てて貰ったからと無理矢理許すって事は、臭い物に蓋をする行為で、ドロドロの中身はどんどん発酵して大変な事になると思うんですよ。
私は親から離れて、あの人たちはたまたま血のつながっていた、気の合わない人と思うようにしてから結構平穏な気持ちになれました。

私の両親はちまたに聞く強烈な毒親みたいに自宅に突撃してきたり等は無かったけれども、それでも舅姑を使って仲直りを試みてきたり、いきなりお金を送りつけてきたり、電話番号も住所も教えてないのに突然電話来たりして電話恐怖症になったり、ありましたけど、最後に「あ!どみちゃん?」って言われた途端電話ガチャ切り出来るようになって本当に平穏でした。

母そっくりの長女姉は母より先に亡くなり、母も亡くなり、そしてその母をすごく愛していた父も亡くなり、電話に怯える必要は無くなりました。