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親を好きになれない

毒親のクリスマスプレゼント

大昔私がまだ小学校入学前の話です。
大手小町のこの投稿を見て思い出しました。

https://komachi.yomiuri.co.jp/topics/id/1044285/

あの時代結構長い期間板チョコは50円固定だったんです。
そして問題のクリスマスの朝。
姉たちの枕元には500円札。
私の枕元にはチョコレート5枚。
私はまだ足し算もかけ算も習ってませんでしたけれども、私へのプレゼントは姉たちの半分である事を理解しました。
舐めんなよ幼稚園児の計算能力。

そして姉二人が、何ともう小学校6年生にもなろうという上の姉も下の姉も口を揃えて「わー、チョコレート良いなあ頂戴」と言ったんです。
私はなんで姉たちの半分しか貰えない上に分けないといけないのかと訴えました。
「お姉ちゃん達はそのお金でチョコレート10枚買えるでしょ!」って。
でもそれを見て居た母親がどうしたと思います?
「まあ!ケチな子ね!分けなさい!」って私のチョコレートを二つもぎ取って姉たちに一枚ずつ渡したんです。

結果は私の手元には板チョコ3枚150円分。
姉たちは現金500円と板チョコ1枚550円分。
その時はそうなると3倍以上の差があるじゃ無いかとまでは理解出来て無かったとは思いますが、元々2倍の差があったのにさらに差が広がったことは理解出来てました。
不公平だって板チョコ3枚泣きながら食べて、「板チョコ貰って嬉しかった」なんて一ミリも感じませんでした。

大人になって母に何であんなことをしたのかと聞いたら、その時の事を覚えているのか覚えてなかったのか知りませんが、「お前にお金の計算が出来ると思ってなかったから」と言いましたが、私は最初っから「お姉ちゃん達はその500円でチョコレート10枚買える」と何度も主張してたんですよね、計算出来てないと思うとか意味わかりません。
お金の計算が出来ないと思ったにしてもそんな不公平でしかも私の事をケチ呼ばわりしてするような事?
姉たちは計算出来る年齢だったから諭すべきだったと思いませんか?

こんな感じですべてに置いて虐げられていたという記憶しかありません。
上の姉は「私は遠足のおやつも残してきて妹達に分けていたのに、妹たちは感謝どころか文句ばっかり」とか言ってましたけれどもそうですかね?
このチョコレートの一件だけでも私をどういう扱いにしていたかわかりますよねってなもんですよ。
上の姉には就学前のチョコレートだけで無く小学校時代誕生日プレゼントに貰った自転車を通学用に横取りされた思い出とか、中学生時代買って貰ったサンダルを持って行かれたとかもありますし、良い思い出なんてありません。

もちろん私だって私の子どもたち、娘と息子に平等に接しているかと言えば出来てないと思います。
進学に掛かった費用を平等にするために金銭的にこう・・・と息子の車の代金の補助とか考えてしてやった事を娘からあっちにしてやったのなら私にも!とか言われたこともあります。
娘から差別と言われたその時は求められたお金を支払いましたけれども、しばらくしてどうして弟の方に手厚くするのかは理由を説明しました。
娘は納得したかどうか判りませんし、それ以降娘と息子にお金の差をつけるような出来事は起こってないのですが、今後、そういう事だから数百万の差をつけるよと娘には言っているし、息子は勉強出来る方に学費を手厚くするのは差別と思わないよとは言われてますけれども。

何が言いたいかと言いますと親が考える平等が子どもが考える平等とは違うかもって話ですけれども。
チョコレートの話は、恨んでも良いですか?

上の姉は亡くなってますしどういうつもりだったか聞けません。
下の姉にその質問をぶつけたことがあるような気もしますが、回答を覚えてません。
が母が「お前がお金の計算が出来ないと思っていたから」と言われたのは覚えてます。
計算出来なけりゃ差別しまくってかまわないし、一旦与えたチョコレート5枚のうち2枚をむしり取ってもかまわないという認識だったんですね。
自転車も誕生日プレゼントだと買い与えておいて、上の娘が通学用に自転車が必要になったら、自転車をむしり取っても特に罪悪感が無い母と姉だったんだなと今更ながら思います。

二人とも大嫌いだ。
と言えない二人とも亡くなってるからね。
「残念」

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親を好きになれない

ガラケー使えていただけでもうちの親よりましかな

https://komachi.yomiuri.co.jp/topics/id/1043072/

80代の母親がガラケーからスマホに買い換えたら電話すらできなくなったというお話。

確かに電話オペレーターの仕事をしていたら、電話を切ってくれなくて困るってシチュエーション増えました。
スマホでの電話の切り方よくわかってないんでしょうと思います。
そしてリダイヤル押してしまったのかなんだかガサガサ音はするけれども何を呼び掛けても返事すらないって電話も増えましたね。
まあそれは若い人でもあるんでしょうけれども。

うちの親、結構早くにガラケー持ってたんですよね。
それこそ私がまだPHSしか持ってなかった時代に。
なぜなら父の継母が具合が悪くなって。
いつ何があるか判らないから、電話待ちでお出かけもできないと言い続けて数年その状態でした。
そして父と母とそれぞれ万が一の連絡の為に携帯を買ったと言うので、「へえ?じゃあ電話番号教えて。」と言ったら、父と母が目配せをして黙り込みました。
どういう事?
父母は私のPHSの番号を知っていたのにですよ。
私に携帯番号知られたらどんな不利益があると言うのですか?
それまでに私が自宅に嫌がらせ電話をかけ続けていたとかいう過去があるのならともかく。
とにかくちょっとしたお出かけもできないとかぶつくさ言っていたので、携帯持ってるなら父の実家の人に携帯番号教えればデパートにお出かけ位出来るやん?って言ったけど「でも・・・」って。
出かけないなら携帯要らないやん。
定年退職して自宅に居て、夫婦お互いしか番号知らない携帯電話って何か意味あるの?
まあ母の英会話教室とか詩吟サークルとかの時間帯は何かあったら便利だったかもね。
そしてその携帯いつまで使っていたか知りませんが、亡くなった時は携帯もスマホも持ってなかったですね。
まあ認知症でしたし。

とはいえ、一つ嫌味を言いたくなるのですが。
私の実祖母、母親の母が亡くなった時。
母危篤の電話が入った時に母が日ごろろくな家事もしてないくせに、瓜を漬けるのを止めなかったんですよ。
私たち姉妹は「瓜は任せて」と言えたらよかったんでしょうけれどもそんな気の利いた娘は一人もおらず。
瓜なんて腐っても良いじゃん早く行きなよ!としか言えませんでした。
しかもタクシー使って行けば良いものを。
自宅からバス、天神から西鉄線、そしてそこからバス・・・で死に目に間に合いませんでした。
祖母の一周忌の後、母の弟、母の実家を継いだ叔父が乗り込んできて文句を言ったそうです。
私は知らないけれども。
葬儀と一周忌の金額が他の人より少ないとか。
そもそも、祖母が入院してお見舞いに来た回数が少ない!
しかも亡くなった時、間に合わなかったじゃないかと。
うん、お金を惜しんでタクシー無しは無かったよねと私は思います。

そういえば義理の両親がガラケー持った時、らくらくホンって奴ですか?
意味が分からないんだけれども、なんとメールが出来なかったんですよ。
なのでショートメールでやり取りしてました。
もともとメールが出来ない機種なのかiモードつけてなかったのか知らないけど。
で、今はスマホにしてるんだけれどもラインもメールも出来ないです。
なのでやっぱりショートメールです。
スマホにした意味何かあったんだろか。

うちの親は、父親はコンピューターの専門家?コンピューターを中学教育に組み込むみたいな研究をやっていたと思うのですけれども。
実家にはアスキーという月刊誌があふれかえっていたけれども父がインターネットをつなぐのはすごく遅かったです。
だから家にあるパソコンは年賀はがき作成機だった。
曰く、インターネット回線使用料がクレジットカードでしか払えないからクレジットカードを作らないといけない。
曰く、電話回線とパソコンをつなげないといけないから電話回線の下にパソコンを置けるような台を設置しないといけない。
どちらもインターネット導入までに数年かかる言い訳にはならないと思いました。
大学で、研究費もらったりとか、実際あのバベルの塔にあるような穴の開いた紙テープが出てくるようなコンピューターの小さい奴を研究の為大学備品としてもらったり、国費で留学したりとかしてたくせに「誰もがインターネットにつなげる時代になればなんもできてないじゃん」ですよ。

母も。
まだATMじゃなくてCD(キャッシュディスペンサー)時代に、機械でお金をおろすなんて怖いとずーっと毎回銀行窓口に行ってました。
今から思い起こすと、まだ40代じゃないの?って思います。

まあそうは言ってもこのブログをパソコンで書いている時点で私もすでにロートルかもしれませんが。
ペイペイだってあのテレビで大騒ぎしていた時期は「何それ怖い?」で参戦してませんでしたが、今頃になって、なんとかペイだと20%ポイントバックだのなんだので参戦しています。
最初の本当にめっちゃお得だった時代に参戦できなかったからロートルかな。
しかも色々キャンペーンありすぎて頭が混乱しています。

うちの親が私に携帯電話番号を教えなかったのは機械を使いこなせないって話とはまた別の話なのかもしれませんが。

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実家の片付け 親を好きになれない

父の葬儀に乗り込んで正解だったと思う

職場でも友達にも隠してないですが、40歳半ばから実家の両親と姉二人に全く会ってません。

義理両親の知るところとなり仲直りしなさいと散々言われましたけれども、夫に訴えて止めろと言ってもらいました。

それでも姑が「お父さん達に何かあったら知らせてくれないと、私たちが葬儀に出なかったら何と思われるか。」と夫の居ないところで言われましたけれども、「判りました」と答えてその後もう父も母も亡くなっていることを言っていません。

夫も最後まで「葬儀に出ないなんて。村八分の残りの二分は葬儀と火事だよ。」と何度も私に言いましたけれども私は長女姉の葬儀にも母の葬儀にも出ませんでした。
村八分の残りの二分については、これはいくら村八分でも可愛そうだからそこだけは付き合ってあげるという話では無く、火事の延焼を防ぐ事と、疫病の蔓延を防ぐ為であって決して村八分にされている人の為の話では無いでしょと毎回言い返していましたが。

ですが父の葬儀の時は出ました。
なぜなら遺産相続の事を姉と話し合う機会はこの時しか無いと思ったからです。

姉と言っても二人の姉のうち、長女姉は母より前にたった60歳で亡くなりました。長女姉がまだ存命だったら私は遺産の話し合いをする為にであっても会う勇気は無かったと思います。

母からも長女姉からも暴力を受けた事がありますが、母の方は暴力は日常的だったのですけれども、母には大きくなってから一発叩かれたら二発叩き返すと決心してやり返したら暴力を振るわなくなったけれども、姉に暴力のやり返しをしたことは一度も無いので、まだ怖いという気持ちが残ってるんだと思います。
暴力の回数は少なくても、長女姉の暴力は限度を知らない感じだったし怖いです。

父の葬儀。
乗り込んだというよりまあ普通に出席したんですけれども。
気持ち的には父を悼むとか見送るという気持ちがさっぱり無かったので「乗り込んだ」って感じです。
結果はこれで良かったと思います。

次女姉は認識が甘くて、母が亡くなった時は後見人弁護士が遺産相続についてすべて手続きしてくれたのですが、私の認識としてはそれは母の後見人弁護士が、父の後見人弁護士でもあったから。
つまり父は相続人になるので父の権利の代理をしただけで、たまたま私たちもそれで遺産分配をして貰って助かったって話です。
なので父の相続の時は自分たちでとはっきり言われていたので、何もしてくれないと判っていました。
なので、次女姉にその後見人弁護士に別でお金を払って父の遺産分割に関しても担当して貰おうよと言うために行きました。
弁護士さんも義理堅い人なので父の葬儀に参列されましたので、その場でお願いできました。
ここからがまた次女姉の認識が甘く、弁護士に依頼をすれば実家を買い取り業者に買い取って貰ってすべて現金化して分けてくれて分配して相続税の申告もしてくれると思っている。
そんなの出来ないって。
買い取り業者に頼むとしても相続手続き終わらせて誰かの名義にして売らないといけないし、そうなると売却益に税金かかるし、その税金をどう計算するのかとか相続分配が難しくなる。
だから弁護士の提案は本来なら不動産評価額で計算するところを、固定資産税評価額で引き受けてくれる人が一人居ればいいと。
ただ、私のもくろみと違って父が亡くなったずいぶん後に来た固定資産税評価額が前年の15%アップだったから、引き受けて売却したら損するじゃん・・・ってなったのですが誰かが引き受けないこ始まらない始まらない。
そして申告は税理士でしょ、そして実家の不動産登記は司法書士でしょ。

結果、まあ色々揉めましたけれども。
相続税申告期限が迫る10ヶ月ギリギリになるまでかかりました。
私たちの場合海外在住の相続人も居ますし、書類のやりとりに時間がかかったという事で申告期限延長申請して申請が通りましたが、実を言うと海外在住の姪っ子はちゃんとレスポンスがあるので遅れたのは彼女が原因ではないのです。
国内在住の姪っ子があれこれ文句をつけてきたのです。
しかも弁護士さんが電話してもなかなか話が通じなかったらしい。

もう一つは単純に手続き上の問題ですが、弁護士が次女姉に退職共済の手続きを頼んだら、姉が盛大な勘違いをして揃える書類が大量にあるとほったらかしにして、弁護士から連絡あっても無視をして数ヶ月たち、私が手続きするに当たって姉が共済金受け取り放棄の意思表示をしないといけないと退職共済の人から言われてまた書類紛失とかすったもんだあったせい。
私は共済から書類を受け取って、ただ一つ足りない、弁護士が持っていない施設に入っていた時期の診断書を貰って提出まで1週間ほどしかかからなかったので、姉の書類読解力のなさにびっくりです。
それで5ヶ月は遅れたかな。

家を売却して現金化する方向での話し合いだったので実家の中にあったものは頑張って全部捨てたのですが。
最後の最後に姪っ子は家財道具は誰が相続するのかとか。
箪笥とか売ったらお金になるとでも思っているのだろうか。
しかも安物年代物の箪笥は母の物、比較的立派な箪笥は実は私の物なんです。
たんすなんてタダでも引き取って貰ったらラッキーとしか思えないのですが。
着物も母が存命中1万円で売り払ったらしくシミが付いた方の振り袖やコートしか残って居らず。
つまり買い取り業者が拒否した着物しか残ってないんです。
私は120個以上の粗大ゴミ処理券代と、冷蔵庫洗濯機の家電リサイクル券代運搬代と、庭の草刈り代と、ゴミ袋350袋分の代金、粗大ゴミで断られた箪笥を処分してくれる業者の代金、支払ってるんですが。
粗大ゴミで大きくて家から出せないと断られた箪笥の処分を市の許可業者が案外安い金額、粗大ゴミの2倍以下で1時間以上掛けて分解して出してくれた時は涙がちょちょぎれそうだったので、お茶代として心付けを払ったのは私の勝手なのでそれは除外するとしても、動産の取得と言われるならかかった費用をマイナスで計算して欲しいぐらい。
実家の燃えるゴミ燃えないゴミ粗大ゴミの日に通ったバス代とか、私の労力は?とか考えたらもっとだと思うけれども。

そして本来なら父の亡くなった日以降の実家の電気代水道代ガス代は父の口座から落ちるのはおかしいのだけれども、話がなかなかまとまらない中私がまだ寒かった父の亡くなった後から暑い夏もずっと実家の片付けが済まなかったので、エアコンとか水とか無いと困るので止めなかったのですが、遺産分割が済むまで引き落とされても文句を言う人など居ないのではないかと弁護士さんが言っていましたが、家の名義を私にして私は三分の二の金額を他の相続人に弁済し、相続の現金から差し引く方向の話し合いだったので、家の持ち主が払うべきかなと私は引き落としの名義を私に変えて支払いました。
結局姪っ子が最後にもう一度通帳のコピーを出せと言ってきたのも、私が引き落としの名義を私に変える前に引き落とされて数万円残高が違ってきてるから不審に思ったわけでしょ?
Jcomの解約費用も2万円ぐらいかかったし、それは私が負担するものではないと思ったので父の口座から落として貰いましたし。
ほら、文句言う人居たじゃないですか、甘いですよね弁護士さんも。
そしてこのJcomもちょっと腹が立つのですが、父は亡くなる前1年ほど長期入院、施設で家に居な買ったんですよね。
弁護士さんさっさとガスを停止して姉がお風呂に入れないと再開したのですが、ガスよりJcom。
父のパソコンをつけてみたらインターネット繋がってなかったと次女姉が言ってましたけれども、しっかりインターネットと電話とテレビを契約して月7000円以上、父が亡くなった後も私が実家の片付けをしていて、「これはJcomと契約してる?」と気付いて連絡するまで支払い続けていたのよね。
ガスは無いと困ることあるけどJcomはたまに泊まりに来たときにテレビ見れなくても困らないし、もったいなかったよね。
次女姉はJcomと契約してること知らなかったみたいですが、弁護士さんは通帳管理してたから知ってたはず。

しまいには父の生命保険死亡保険金等々が私の口座に半年ほど眠ってる状態なので、その利息も要求されないかななど考えていましたけれども、それは無かった(笑)だって400万程度半年以下だからせいぜい10円?ぐらいかな。

もちろん父の亡き後引き落とされた電気代などは相続税支払いの時はそれが引き落とされる前の計算でしょうけれども、税理士さんに申告を頼んでいるのでまさかそこら辺を間違えることなど無いでしょう。

こんな色々がありましたけれどもようやく遺産分割協議書作成が済みまして、それに判子付いて貰うだけですけれども、どうなったことやら。
私は遺産分割協議書を郵便で貰った次の日に判子ついて弁護士事務所のポストに放り込みに行きました。
速達より早いから。
弁護士さんは90万円の報酬でやってくれるそうです。
消費税入れて99万、相続は次女姉と私が三分の一ずつ、長女姉の子どもたち二人の姪っ子が六分の一ずつ、割り切れてちょうど良いですね。
税理士さんは100万の所を4人まとめて頼んでくれるなら20万値引きしますと80万で88万。
3で割り切れないな。

私は家を貰ってしまったら売ってもその遺産分割協議書の代償額だと他の相続人が貰う現金の方が高くなるんですよね。
よほどふっかけた値段で売りに出して、どうしても欲しいからその値段でって値下げ交渉しない買い主が現れない限り。
それでも誰かがあの家を引き受けないと話が進まないと、もしかしたら儲かるかも知れないとか思って手を出して失敗したわけですけれども、私が引き受けなければ未だに話が進んでませんでしたので、結果はこれで良かったのだと思います。

あんなに娘に家を取られると散々私を泥棒扱いしていた母親ですし、一瞬でも私の名義になるなら母親への仕返しになるかもとほくそ笑んでおります。

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親を好きになれない

今更ながらエヴァンゲリオン

テレビ放映の時期に見てましたけれども20年近く経ちますよね。
もちろん私はテレビ放映の最期の2話を理解出来ずに怒った方の人間です。

で、その後色々サイトを見て回ってそうなのかーって思ったけれども、いや人から解説されないと判らないような内容ってどうなん?って未だに思います。

そして、今回。
劇場版一つも見てませんが。
ラストが宇部新川駅だったと知ってえ?って思って色々Youtube見ました。

普通に劇場版4つを見て私は理解出来なかったと思いますので、解説のYoutube見るだけで良かったとは思います。
でもテーマが「愛情を親から貰えなかった子どもたち」なの?みたいな。
で、しかもラストシーンが宇部ですか。

私も親から愛情を貰えなかったので非常に性格の悪い人間に育ちまして、自己肯定なんて何も無い。
で、そういう人間達が救われる物語が夫の実家の宇部がラストってふーん?まあそこまで運命は感じないですが、なにか感じる物はありますね。

主人公のシンジは親からの愛情を実感してラストを迎えるのですが、私の場合は父親が亡くなった後も実は次女姉が一番愛されていて私なんてどうでも良かったという事実をさらに突きつけられるという事態でエヴァンゲリオンみたいなラストには導かれません。
世界のその後を決めるのが実は父にも母にもとても愛されていたシンジで良かった、私ならさらに絶望を迎えてとんでもない未来を招きかねないです。

これからシン・エヴァンゲリオンを見て、自己肯定感をつけようと思います。

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親を好きになれない

実の親から一度もして貰ってないことをしてくれる舅姑

社宅に入ったときに奥様方の誕生日に親から電話があったり宅急便が送ってきたり。
ああ、親ってそういう物なんだと初めて気付きました。
それまで、母の日、父の日、母の誕生日、父の誕生日、すべて一方通行でしたから。
そりゃもちろん子どもの頃は誕生日パーティを開いてくれたり、プレゼント貰ったり。
でもせっかくして貰ってるのに覚えているプレゼントは、自転車。
なぜかと言うと、小学生の時に誕生日プレゼントで自転車を買って貰ったのに、姉が高校生になった時にそれを勝手に通学用に使うようになってしまったんです。
母も姉にも通学用に自転車を買えば良いのに、「お姉ちゃんが高校から帰ってきてから使えば良い。」と言ったんです。
私の下校時間の方が早いから遊びに行くとき使えないし、そもそもあの自転車は私の物だそれはひどいと主張したのですが、無視。
なので私は自転車の鍵を掛けて隠しました。
その日姉が自分で鍵を無くしたと思って慌てて探していたけれども知らんふりしました。
いったいどうしてプレゼントした物を取り上げるような事を出来るんでしょう。
いくら節約と言っても姉に自転車買うお金も無いほど貧乏ならそもそも私に自転車を買わなければよかったと思います。
姉も姉です。
なぜ自分にも自転車を買ってと親に主張せずに私の自転車を毎日勝手に使うという判断をしたのでしょう。
私はこの姉も嫌いなんです。
私が中学生になった時に夏に安いサンダルを買って貰ったら、それを勝手に大学の寮に持って帰ったのです。
曰く「私が中学生の頃白いサンダルが欲しくて欲しくて買ってと何度も頼んだのに買ってもらえなかったのに!」だそうです。
それを言うべきは母親に対してであって、どうして私に向かってそんな事をするのか、一家の中で一番弱い立場だからですよね。

なので私は自分の誕生日プレゼント、嬉しいプレゼントもあったのかもしれないけれどもすっかり忘れていまして、思い出せるのがこの恨み深い自転車のみなんです。
ひどい娘ですよね。

舅姑も私の誕生日に電話掛けてきたりとかプレゼント送ってきたりとかしませんでした。
ただ、プレゼントはプレゼントは気合いの入っていた結婚当初はともかく、だんだん面倒くさくなって、母の日と姑の誕生日を一緒くたにしたりとか手抜きしてましたけれども。

でもいつからか、舅姑から私たちの誕生日にプレゼントを贈ってくるようになったんです。
毎年決まって私には赤白のワイン1本ずつ、夫には焼酎。

今日もさっき夫がゴルフに行ってるからとグダグダと布団の中でマンガを読んでいたらインターフォンが。
舅姑からの誕生日プレゼントでした。
舅が姑に向かってえらそうに「オレが良いワインを選んでやる」と言っている姿が目に浮かぶようです。

色々あっても実の親ほど遠慮無い関係にはなれないですけれども。
実の親からして貰った事のないことをしてくれるような舅姑です。
私にはもったいない舅姑ですね。